RIKEN ECO HILIGHT 2009

環境負荷を減らしながら農業生産を増やす。 アブラムシの効果的な防除法の開発に期待

基幹研究所 宮城島独立主幹研究ユニット 中鉢 淳  基幹研究所研究員

基幹研究所 宮城島独立主幹研究ユニット 中鉢 淳  基幹研究所研究員

 農作物を病気や虫から守るため、農業生産において農薬は大切な役割を果たしています。しかし一方で、化学農薬の多くはヒトを含む多くの生物にとって有害であり、散布する際に中毒事故を招いたり、周辺に拡散することで病害虫以外の生態系に悪影響を及ぼしたり、食物上に残留することで健康被害を及ぼしたりする負の側面も持っています。このことから、できるだけ農薬の使用を減らすことは、農産品を口にする私たち消費者だけでなく、生産者や地球環境全体にとっても重要な課題です。中鉢研究員の取り組みからは、既存の農薬に換わる画期的なアプローチ方法が見えてきました。

遺伝子レベルで明らかになりつつあるアブラムシの生存戦略

 農作物を荒らす農業害虫の代表格のひとつが、アブラムシです。アブラムシは針のような口を使って植物の師管液を吸い、光合成産物を奪うことで植物の生育を妨げます。また、しばしばこの採餌行動の際に植物ウイルスを媒介し、農作物に深刻な病害を起こします。これまでに700種類ほどの植物ウイルスが知られていますが、実にその3割は、アブラムシによって媒介されるのです。さらにアブラムシは糖分を多く含む排泄物を植物上に付着させるために、カビによるスス病を起こすなど、二次的な病害・虫害も引き起こします。

 アブラムシによる病虫害を抑え、農作物の収量低下を防ぐことが出来れば、結果として化学肥料の使用も削減できます。化学肥料も、過剰量が周辺環境に流出、拡散すれば生態系への影響が無視できません。安全で効果的なアブラムシ防除法を開発することができれば、それは同時に化学農薬や化学肥料の使用、さらに、それらの生産に伴って排出される産業廃棄物を減らし、環境負荷を減らしながら農業生産を増やすことになるのです。ところがこれまで、そうした研究開発に不可欠な、アブラムシの遺伝子に関する情報が圧倒的に不足していました。その状況を一変させたのが、先ごろ発表されたアブラムシのゲノム(全遺伝情報)解析です。

  「今回のゲノム解析によって、アブラムシの持つ遺伝子セットの全貌が明らかになりました。これらの情報に基づいて研究を進めれば、環境負荷を抑えた、安全かつ効果的な、新たな防除法が開発できるはずです。」。こう述べるのは、アブラムシゲノム解析計画のリーダーの一人、基幹研究所 宮城島独立主幹研究ユニットの中鉢淳基幹研究所研究員です。

 アブラムシは、理想的な条件下で増殖を続けると、1頭のメスに由来する子孫が1年で数千億頭に達する、と言われるほどの凄まじい繁殖力で個体数を増やしながら、植物に加害します。この爆発的な増殖能力は、メス親が単為生殖により直接自分のクローンである幼虫を産む「胎生単為生殖」によりますが、アブラムシの多くの種は、環境条件に応じてこの単為生殖と有性生殖を切り換えることができます。

エントウヒケナカアフラムシ 単為生殖メス虫か幼虫を直接産み出している。
エントウヒケナカアフラムシ
単為生殖メス虫か幼虫を直接産み出している。

また、単為生殖世代では、おもに羽を持たない個体として増殖しますが、アブラムシの数が増えすぎて成育環境が悪化すると、羽の生えたタイプが生じ、飛行して新たな寄主植物に移動し、そこで単為生殖を再開します。羽の生えたタイプは移動能力が高いので、植物ウイルスを保有している場合には、病気を農場外から持ち込み、また広範囲にばらまく厄介者として、大きな問題となります。

このようにアブラムシは、環境の変化に応じて変幻自在にさまざまなタイプの個体を産出する能力を持ちます。

 「単為生殖をするもの、有性生殖をするもの、羽の生えるもの、生えないもの、これらはいずれも同じゲノム・遺伝子セットを持っているのですが、アブラムシは環境条件に応じて、遺伝子の働き方を変えることで、まったく違った形態・性質を示す個体を作り出すことが出来るのです。これは、アブラムシを手強い害虫としている要因の一つです」と中鉢研究員。

 ゲノム解析の結果、アブラムシのこうしたユニークな特性を規定している遺伝子の候補も見つかりつつあります。今回の解析では、昆虫として最多となる、およそ35,000個の遺伝子がアブラムシゲノムから検出されました。
 その内訳を見ると、遺伝子の重複が多く、昆虫の中で最多の2,500グループ、総数およそ13,000の遺伝子がアブラムシ特異的に増幅していることが明らかとなりました。増幅していた遺伝子には、単為生殖に関わると推察される遺伝子、形態などの切り替えに重要な役割を果たすと考えられる、シグナル伝達や転写制御に関わる遺伝子、ウイルス媒介に重要な働きをする膜輸送関連の遺伝子などが含まれており、アブラムシの特性の分子基盤を解明するための糸口となります。しかしながら、アブラムシが餌としている師管液は、糖分は多いものの、有機窒素分に乏しく、きわめて栄養価の偏った砂糖水のようなものです。

 なぜこのような食料だけで、爆発的に増殖することが出来るのでしょうか。

 「アブラムシの繁殖力を栄養面で支えるのは、微生物との共生関係です」と中鉢研究員は説明します。

 アブラムシは、「菌細胞」と呼ばれる特殊な細胞の中に、共生細菌の「ブフネラ」を多数収納し、1億年以上にわたって親から子へと受継いでいます。ブフネラは、アブラムシの餌である師管液に欠けており、またアブラムシ自身が合成することの出来ない、必須アミノ酸などの栄養分を合成してアブラムシに供給しています。アブラムシは、ブフネラによるこの栄養供給に成育を依存しているので、ブフネラなしでは繁殖できません。

 「その一方で、ブフネラは菌細胞の外で増殖することは出来ません。アブラムシとブフネラは、両者を合わせて初めて一つの生物として振る舞うことの出来る、融合体を形成していると言えます」(中鉢研究員)。

 ゲノム解析は、アブラムシの生存を支える、この驚異的な共生系についても新たな知見をもたらしました。

アブラムシは、かつて保有していた
別の細菌の遺伝子をブフネラ維持に活用

 「今回の解析から、アブラムシのゲノムは10種類以上の遺伝子を細菌から獲得してきたことが明らかになりました。私たちは、これらの遺伝子の多くが、菌細胞の中で活発に働いているという証拠もつかんでおり、ブフネラの維持、制御に利用されているのではないかと考えています」と中鉢研究員は説明します。

 ところが意外なことに、細菌由来遺伝子のうち、ブフネラに由来するものは2種類だけで、しかもそれらは遺伝子としての構造が不完全で、機能することが出来ないものであることも分かりました。つまり、アブラムシ菌細胞の中で機能している細菌由来遺伝子は、いずれもブフネラ以外の細菌から獲得されたものである、ということです。

 「アブラムシでもない、ブフネラでもない、まったく異なる第三者の遺伝子が、アブラムシゲノムに飛び込み、機能することでブフネラの生存を支えている、という非常に興味深いストーリーが見えてきたわけです」(中鉢研究員)。

共生系を破壊することでアブラムシの繁殖を止めるアプローチに期待

 これまでの農薬は、昆虫の神経系などを標的として開発されており、アブラムシなどの害虫に限って作用するものはまだ開発されていません。結果、前述のように、益虫を含む他の昆虫や人畜などへの配慮が常に必要となります。また、こうした農薬に対して抵抗性を持つアブラムシの出現も問題になっています。

 「アブラムシを狙い撃ちするためには、アブラムシのユニークな特性を規定する遺伝子やその産物、あるいはそれ以外でもアブラムシだけに存在する遺伝子やその産物を標的とするのが有効なアプローチとなります」と中鉢研究員は述べます。

 「胎生単為生殖、環境に応じたさまざまな形態や性質の切り替えなど、アブラムシにはユニークな特性がいくつもあります。これらに関わる遺伝子は、新たな標的として有望でしょう。中でも、ブフネラとの共生系は、アブラムシの生存に直結するものですので、とりわけ注目に値すると考えています」(中鉢研究員)

 ブフネラとの共生系はアブラムシの生存にとって不可欠である一方、私たちヒトを含む周辺の他の生物には存在しないので、アブラムシに的を絞った、特異的で効果的な、環境負荷の低い防除が可能になるというわけです。ブフネラを内包している菌細胞で、どのような遺伝子がさかんに働いているか、中鉢研究員らの先行研究による知見の蓄積があります。現在、個々の遺伝子産物の機能解析も進行中であり、今回のゲノム解析の結果と合わせ、アブラムシの生存を支える共生系維持のメカニズムが解明される日は近そうです。
 また、ブフネラはアブラムシの体内で次世代のムシに受け継がれますが、この伝播プロセスにおいて働く遺伝子も、菌細胞内で恒常的に働く遺伝子と合わせて、注目されます。中鉢研究員らは、化学薬品に頼らない、共生系の破壊の手法についても、検討を開始しています。

 世界の人口が毎年1億人のペースで増加していると言われる中、食糧不足が大きな問題となっています。環境負荷を抑えて、農業生産高を向上させる技術への期待は高まっており、アブラムシのゲノム解析から得られた成果が、広く世界中の農業で活用される時が待たれます。