合成ゲノミクス研究チームでは、生物由来のプラスチック材料(バイオプラスチック)や、エネルギー(バイオマスエネルギー)の開発につながる新規の化学物質の生産に取り組んでいます。
「目的とする物質を植物内で作り出すために、どんな代謝経路、合成経路が必要とされているのか。また、その経路を植物内に導入するには、どのような形質を発現する遺伝子が求められているのかを、多様な生物の遺伝子情報を使って探っています」と述べるのは、松井南チームリーダー。長年、植物のゲノム研究に携わってきた研究者のひとりです。
―植物を使って、どのように化学物質を作るのでしょうか。
松井 化学物質の生産に自然の力を利用する方法は、いくつかあります。バクテリアや酵母などの微生物を用いる方法、植物や藻類を利用する方法などです。 植物は、自ら炭酸ガス、水、太陽光をもとに糖を作る光合成を行うことができます。 他方、微生物は、炭酸同化能(二酸化炭素を生命維持のために取り込み、活用する能力)がないため、養分として糖(炭素源や窒素源)を与えなければ生きていくことができません。と同時に、ある種のバクテリアでは、生きるために欠かせない炭素源を、ポリヒドロキシアルカン酸(PHA)というバイオポリエステルの形で体内に蓄積することができます。
他方、糖を自ら作り出す能力のある植物はこの機能を持ち合わせていません。
では、プラスチック素材として有望なPHAを微生物が合成する経路を、植物に導入してみてはどうか?実現すると、植物を人類が必要とするエネルギーや素材の製造工場として利用できる可能性があります。
植物を用いた物質生産が可能になれば、同時に、温室効果ガスである二酸化炭素を吸収・固定し、大気中の二酸化炭素濃度を低減する効果を期待できます。植物は生活環も早いため、物質を効率よく生産できる可能性があります。
―そうした研究は、BMEP内で、どのような連携が行われているのでしょうか。
松井 微生物が合成するPHAについての知見を豊富に有しているのは、「バイオプラスチック研究チーム」です。したがって同チームのスタッフとの情報交換は定期的に行っています。
同様に、小麦の仲間で、セルロースバイオマス増産研究においてもターゲットとして期待されるブラキポディウム(ミナトカモジグサ)に、バイオプラスチック合成経路を導入する研究も進めています。こちらは「バイオマス研究基盤チーム」とスクラムを組んでの取り組みです。
―植物に合成経路を導入する、というのは、具体的にどういうことなのでしょうか。
松井 シロイヌナズナのような植物はバイオプラスチックを合成できませんが、その前駆体となる物質をいくつか合成することができます。そこに新規の経路を連結する形で『バイオプラスチックを合成する酵素(タンパク質)』を発現する遺伝子を植物の細胞に組み込むことが、合成経路導入のやり方のひとつです。シロイヌナズナはゲノム解読がかなり進んでいる植物で、多くの遺伝子の機能が分かっています。そのため、例えばバイオプラスチックを合成する遺伝子を組み入れた場合、どのような変化がシロイヌナズナに起こるのかが、ある程度、論理的に予測できる状況にあります。
―有望視されるバイオプラスチックの前駆体としては、どのようなものがありますか。
松井 例えば植物の作り出す脂肪酸やAcetyl-CoAのような中間体を始めとして、バイオプラスチックを合成する微生物の遺伝子を植物の遺伝子に組み込むことで、光合成に始まり、最終的にバイオプラスチックまで合成する生産ラインを1つの植物にもたせることができそうです。その際、塊茎や実などをバイオプラスチックに置き換えられれば、植物内でプラスチックを収穫する文字通りの製造工場となります。
―そのため、どのような方策が必要ですか?
松井 実際は遺伝子を導入しても、思ったように機能してくれるとは限りません。遺伝子の発現量がわずかに異なっただけでも、現れる形質が大きく変わってしまうこともよくあります。植物に適した合成経路を導入して最適化する必要があります。
私たちはシロイヌナズナの変異体10万体以上について遺伝子情報を整理体系化しています。このデータベースを用いて、葉やガク、花びらの形状、大きさ、生育の早さといった、それぞれの機能を個別に付加・強化する技術と経験を培ってきました。バイオプラスチックの生産という明確なゴールを定めた上で、新たな代謝経路や合成経路を導入する取り組みは、シロイヌナズナをはじめとする植物の機能付加・強化の延長線上に位置づけることが可能です。
―環境(生態系)に対して、どのような注意が必要ですか。
松井 当然ながら、このような研究では、特殊な人為的な遺伝子を導入した植物の花粉や種子などが環境中に拡散しないように厳重に管理しています。ただ、前述のように、変異体に関する膨大な実験データに基づく情報がすでに体系化されていますので、新たな代謝系や合成系を導入した際の結果も制御しやすいと言えます。生態系へ与える影響を抑える上で、理研ならではの強みといえます。
なお藻類は、上記の安全面において、リアクター(反応器)のような容器の中で無機塩類や炭酸ガス、水を加え、光の量で成長をコントロールしやすい特色を持っている生物です。将来、地球にやさしいエネルギーや素材の製造工場を構築するような際には、藻類は有力なターゲットです。しかも閉じた環境空間で育成させられますから、危惧される危険の拡散は極めて起こりにくいのも利点です。
―BMEPにはどのようなこと期待していますか。
松井 植物を利用した新たな系の導入には、BMEP傘下の各チームとの連携よる総合力が求められてきます。特に有機化学系の研究チームとの連携は、新しい発見をもたらす可能性があります。逆に、私たちのチームのこれまでの研究成果が思いもよらない形で活用される場面もありそうです。そのため、チーム同士、お互いに良い提案ができるよう、連携の機会を最大化していきたいと思っています。