東日本大震災の津波と地震は、岩手、宮城、福島といった
日本を代表的する穀倉地帯に甚大な被害をもたらした。
特に、沿岸農地の海水による被害は大きく、除塩等も未だ容易ではない。
そんな中、地震発生から約1か月というスピードで塩害対策の新しい試みに
挑んだのが、理研、東北大、宮城県古川農業試験場のチームだ。
目指すのは、理研独自の技術である「重イオンビームによる耐塩性イネの開発」を
さらに進化させた「スーパーイネ」の開発だ。
理研、東北大、宮城県が一丸となって挑む“塩害に強いイネ”の今を語る。
理化学研究所 社会知創成事業 イノベーション推進センター
イオンビーム育種研究チーム チームリーダー
東北大学大学院生命科学研究科
ゲノム継承システム分野 准教授
宮城県古川農業試験場 作物育種部 副主任研究員
スピーディな連携プレイ
遠藤:誰でもその思いはあったでしょうが、震災直後から「何か自分にできることはないか」という気持が強くありました。自分はやはり、専門であるイネの育種を通して何か良いアイデアはないか、探っていたところ、理研の阿部先生と東北大の佐藤先生の共同研究である「重イオンビームによる耐塩性のイネの開発」の研究成果を知り、非常に興味を持ちました。そこからすぐ、佐藤先生に連絡をとり、阿部先生を紹介していただきました。震災から1か月後の4月12日のことでした。
阿部:今思えば、そのタイミングがとても良かった。重イオンビーム照射の実験日は、数か月前からスケジュールが組まれています。イネ品種改良のための照射は、例年4月中下旬に確保しているのですが、2011年は震災の影響ですべての実験がキャンセルされていました。多くの花や作物の栽培は春から始まるため、4月の照射の重要性を訴えたところ、仁科センターの物理学者の理解が得られ、なんと品種改良の実験だけ4月16日と17日に行えることになりました。もし遠藤さんからの連絡が数日遅れていたらイネの生育時期を考えると1年を待つことになります。本当に良いタイミングでした。
重イオンビームに着目した理由
阿部:重イオンビームとは、原子から電子をはぎ取って原子核だけを加速器で加速したものです。身近なところでは、医学の世界で、重イオンビームを照射し、がん細胞を停止させることで、がん細胞のみを死滅させ、がんの治療を施す研究が進められています。重粒子線治療というのがそれですね。この重イオンビームを植物に光速の半分程度というスピードで照射すると、植物の細胞内を通過するときに遺伝子を切断します。そのままでは困るので、植物が自ら繋ぎ直すのですが、この時ちょっと遺伝子が短くなったりして、突然変異が起こります。この突然変異体の中から、目的の性質――たとえば、病気に強い、塩害に強い等の性質を持った品種を選び出すことが可能なのです。
従来、放射線というのはX線やガンマ線が身近だと思いますが、重イオンビームはこの2つに比べ粒子1個のエネルギーが非常に大きく、1個でも遺伝子を大きく変化させることができます。そのため照射線量が少なくても、変異率が高く、変異のバリエーションが多くなります。そこで、目的とする性質だけが変わった突然変異体を選別すれば、そのまま新品種とすることができるというわけです。
遠藤:私たちの農業試験場で通常行っている育種は、親になる品種をかけあわせてその性質を固定させるもので、品種化まで最低8年いう長い歳月を要します。ところが、重イオンビームを照射して突然変異を起こすことができれば、この期間が格段に短縮できます。2~3年で育種が可能になるというのは、非常に魅力があります。今回、私の目指す“塩害に強いイネ”の開発にはかなりのスピードが必要だと考えていました。そのためには、重イオンビームを用いた方法は、非常に良い育種法だと思っています。
阿部:遠藤さんが注目した、2006年に発表した耐塩性のイネは、「日本晴(にっぽんばれ)」という品種に、2003年に重イオンビームを照射してつくったものです。これは、50年来の品種ですが、現在は、あまり作付けされておらず、温暖地向きの品種であるため、東北地方では栽培することができません。今回は、宮城県の現在の主力品種である「ひとめぼれ」「まなむすめ」の種を使って、重イオンビームを照射しました。
遠藤:目指すところは、そうやって得た改良種が生育良く、実りも多く、食べてみても元の「ひとめぼれ」「まなむすめ」の味を保っていること。さらに、これが一番重要ですが、耐塩性に優れているということです。現在、その実験を行っているのが東北大の試験水田(宮城県・大崎市)です。佐藤先生が幾年にもわたって実際に塩害の水田をつくり、そこで実験したノウハウが今回の挑戦にも生かされています。
「塩害水田」で実験をする意味
佐藤:塩害の被害を受ける水田は、世界中の水田の約30%に相当するといわれ、昔から農業科学の大きな課題のひとつです。私はずっと耐塩性のイネの研究を続けてきましたが、塩害に対応するイネの開発は、「塩害の水田」で実際に育成してみることが大事なポイントです。しかしこれはかなり難しく、圃場の塩濃度を調節するだけでも、困難を極めます。現状、海水の4分の1あるいは5分の1の塩濃度で調整していますが、雨が降ればすぐに薄まってしまう。もちろん、水田ですから気候・気温・湿度などの影響もある。その中で、実験に適した塩濃度を維持し、結果を出し、強い種を選抜していくというのが、この実験の最も難しい点ですね。
阿部:実は、佐藤先生は私の恩師にあたり、私が学生の頃から耐塩性のイネの育種は既に行っておられました。その当時は、まだ加速器のことは知らず、植物に重イオンビームを照射することなど考えもしませんでした。理研での研究で、重イオンビームを使った方法が変異の性質を固定させやすく、育種に非常に向いていることがわかってから、再び佐藤先生の協力を仰ぎ、耐塩性のイネの開発に着手したのです。耐塩性のイネの研究は他でも行われていますが、「塩害水田」を実際に使っているはここだけ。今回のように確実に結果が求められる実践の仕事は、実際の生育状況に近い環境のなかで進めてゆく以外にありません。
佐藤:以前は、この圃場も真水の水田に細々と塩を撒いていたんです(笑)。しかし、1986年に集中豪雨で、この一帯がひどい水害に遭いました。井戸も埋まったので新しく掘っていたら、もともと干潟だった土地らしく、塩の濃度が海水の3分の1程度の水が出てきました。そこで、真水に変えるのではなくそれを逆転の発想で利用したのがこの塩害水田です。おかげで、日本で唯一の塩害が実験できる圃場になったというわけです(笑)。
しかし、私たちが目指しているのは、“塩害に強いイネ”の種を見出すことです。何度も言うようですが、この環境で育てることにこそ、意味があるのです。
遠藤:昨年の震災と津波の被害で、海水を被った宮城県内の農地は約1万4,300haにも上ります。このなかで、2011年度中に除塩対策を行ったのは、わずかに3分の1程度※。宮城県の計画では、2012年度中に4,100ha、2013年度は3,650haということで、3年がかりで大半を復旧させる計画になっています。しかし、一方で、地盤沈下等で未だ海水が引かないままの農地もあるといいます。私たちの試みが、少しでも農地復興に役だってくれれば嬉しいと思います。
阿部:「日本晴」を使った実験では、325系統×50個体、合計16,250個体を植えて、耐塩性を4系統選ぶことができました。中でも耐塩性が強いイネが「6-99系統」というものです。これは総合的に見て、一般品種の約1.5倍の耐塩性を持っています。今回の実験では、700系統を植え、その結果を注視しています。結果は穂が実る秋。突然変異体を使った実験ですから、「確実」ということはありません。しかし、その結果をふまえ、着実に一歩一歩前に踏み出していきたいですね。
※2011年度中に除塩対策を行った宮城県内の農地面積は、春施工1,147ha、秋施工4,100ha。したがって、2011年度に作付けできた農地は、春施工の1,147haのみ。