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- Eco Hightlight 植物共生細菌「エンドファイト」の農業への応用
2010年、理研に設立された社会知創成事業イノベーション推進センター。
その目的は、理研と産業界が連携し、基礎研究の成果を社会に役立つ科学技術に発展させること。この試みのひとつに、株式会社前川製作所との共同研究「植物共生細菌エンドファイトの研究」がある。
この研究が目標とするのは、植物内に存在するエンドファイトの免疫増強作用のメカニズム解明とその応用によって、化学農薬を使わない作物の栽培を可能にしようというものだ。
既に、「イネファイター」という商品の実用化にまで進んだエンドファイト研究の今を、イノベーション推進センター・植物微生物共生機能研究チームの仲下英雄副チームリーダーが語る。
仲下 英雄(Hideo Nakashita)
理化学研究所 社会知創成事業 イノベーション推進センター 植物微生物共生機能研究チーム副チームリーダー
――細菌エンドファイトとはどういったものでしょうか?
「エンドファイト」とは、植物内部に共生する微生物(植物共生菌)の総称です。ほぼ全ての植物の中にエンドファイトは存在します。
エンドファイトには2種類の微生物のタイプがあり、ひとつはカビ(糸状菌)。もうひとつがバクテリア(細菌)です。カビタイプのエンドファイトは、植物の中で毒素をつくることによって植物を害虫から守ります。ところが、その植物を、例えば家畜が食べることで消化不良が起こったりするわけです。これは、かなり以前から知られていました。
そして現在、私たちが注目して研究対象にしているのは、もうひとつの、毒素をつくらないバクテリアタイプのエンドファイト(細菌エンドファイト)です。植物の中には様々な細菌エンドファイトがいますが、それが何をしているかは、ほとんどわかっていませんでした。近年、細菌エンドファイトには、毒素をつくらずに植物の免疫力を高めたり、生育を促進したり、強光や高温、乾燥等のさまざまな環境ストレスに対する耐性を高めたりする菌がいることがわかり、注目されています。
このエンドファイトが誘導する免疫活性化のメカニズムを解明し、微生物資材として利用できれば、農薬や化学肥料を減らし、環境生態系に影響を与えない作物の生産を可能にするというわけです。
――そのエンドファイトを使ってどのような研究を進められましたか?
その前に、まず、研究の背景からお話しましょう。
現在、世界の約10~20%の作物生産が植物の病害虫によって損なわれているという事実があります。これは、約8億人の食料に相当します。世界の飢餓人口が8億人と見積もられていることから、植物の病害虫を防ぐことは食料の安定供給に向けた重要な課題のひとつなのです。そして、従来からの病害虫対策といえば、化学農薬が挙げられます。
現在の化学農薬は非常に研究が進んでおり、毒性のないものも多く、多少口に入っても人体に害はありません。とはいえ、化学農薬で微生物を殺す場合、悪い微生物ばかりか良い微生物も殺してしまうので、生態系に影響を及ぼす可能性もあります。そこで、できるだけ農薬を減らし、生態系に配慮した作物栽培が、世界的に求められているのです。
植物には、自分を守るための免疫システムが備わっています。そして、これを活性化する化学物質も開発されていて、実際の作物生産でも使用されています。私たちは、以前から、この植物の免疫システムについて、遺伝子や植物ホルモンの働きを調べて、メカニズムを解明してきました。
今、エンドファイトに注目が集まるのは、化学農薬で生じる免疫システムとは違う、新しいタイプの抵抗性を誘発する機能――植物本来の免疫力を高める力を持つことにあります。これまでの研究をベースとして、植物の中でエンドファイトという微生物が働くメカニズムを解明すれば、より環境にやさしい作物の生産が可能になり、ひいては作物の安定生産にも寄与すると考えられているのです。
私の研究チームが目指す目標は、エンドファイトが植物に作用するメカニズムの解明を通して、より有用な微生物を発見するための方法論の構築をすること。そして、既に見つけている有用エンドファイトの免疫活性力をより高性能化するというものです。
――「細菌」と聞くと、安全性も気になるところですが?
エンドファイトのような微生物を撒くことで、「土の中の生態系が変わるのでは?」と心配する方もいます。しかし、実際には土の中には様々な微生物が存在しており、ある条件下で一時的に増えても、やがては元々の生態系に戻っていきます。そこが、エンドファイトという元々植物に存在している細菌を使う意味です。化学物質を撒くと、分解するのに時間がかかり、環境に負荷を与えます。ところが、生物同士なら自然にバランスをとってゆきます。ちょうど、人間がヨーグルトや漬物で、一時的に体内の乳酸菌を増やしているようなものですね。
――エンドファイトは「植物プロバイオティクス」とも言われているようですが?
私たち人間は発酵食品などで生きた菌を口から摂取しますが、これは腸内細菌のバランスを改善するだけでなく、私たちの免疫を活性化します。これは、乳幼児の頃から免疫系の発達に重要ですが、大人でもガンの予防などに働いていると言われています。このように人間の免疫を活性化する菌のことを「プロバイオティクス」と呼んでいます。これと同じように、植物の根のキズや気孔等から植物の内部に入ったエンドファイトが植物の免疫を活性化する働きから、「植物プロバイオティクス」という表現を使っています。“良い菌を増やすと免疫がアップする”と覚えるとわかりやすいですね。
エンドファイトと植物プロバイオティクスは同一に使われることも多いのですが、エンドファイトは植物内微生物の総称。対して植物プロバイオティクスは、エンドファイトの中でも免疫力を活性化する特別な菌です。
――エンドファイトを応用した、具体的な成果物はありますか?
株式会社前川製作所開発のイネファイター
農業用資材の開発を手掛ける前川製作所と共同研究を進め、2012年に同社から商品化された「イネファイター」があります。「イネファイター」は、イネから発見された細菌(菌種:Azospirillum sp.)の微生物資材です。イネに散布すると根から吸収され、体内に定着。自発的に増殖して、イネ自身の免疫機能を活性化するよう働きます。
最初にイネを手掛けたのは、日本の主食である米の生産で減農薬を実現し、環境保全型の農業の推進につなげたいという思いからです。
――商品化にもつながった「社会知創成事業(※)」の意義とは?
科学技術の発展にとって、基礎研究はすべての科学技術の礎になるものでもちろん重要です。しかし、同時に社会に有用で直接的に生活に役立つ研究も求められています。
社会知創成事業は、「世の中の役に立つ理研」という理念のもと、産業界等との連携を通じ、理研の基礎研究の成果から社会の発展や確認に役立つ科学技術「社会知」を生み出そうというプロジェクトです。「イネファイター」を生んだ前川製作所との共同研究は、このような理研の新しい取り組みの一つとして活動するプログラムです。
イネの生育を確認する仲下氏
植物科学の世界は、基礎研究がかなり進んでいるのですが、研究成果をいかに早く実用化させるのかという課題を抱えています。とりわけ、植物科学研究と農業は乖離している部分も多かったと思います。動物系の研究と医療が近いように、植物科学研究と農業がもっと近くなれば……今回のように企業とチームを組む意味はそこにあると思います。
実際の消費者やそれらに携わる方々の考え方を知る。そのことは、私たちが行う基礎研究の成果を社会へ還元する上で、とても有用なプロセスとなります。そして今後、植物科学がより身近なものとなり、自身の研究が人々の暮らしに役立つと実感できれば、とりわけ若い研究者たちにとっては、大きなモチベーションとなることでしょう。
理研と産業界とのバトンゾーン研究
前川製作所との共同開発の意義
理研では、異なる使命をもつ機関が連携して、知識や技術の移転を行う仕組みを、陸上競技になぞらえて「バトンゾーン」と呼んでいます。その狙いは、積極的に異分野交流を行うことで、新たな知の創成を進めるというものです。
今回の前川製作所との共同研究はまさにバトンゾーンを最大限に生かしたもので、社会知創成事業の代表的なケースとなりました。今後も「理研知」を活用して、イノベーションの基盤となる「社会知」を創成していきます。
伊沢 剛(Tsuyoshi Isawa)
株式会社前川製作所
技術研究所中長期開発グループ・副主任研究員
2008年より理化学研究所 社会知創成事業 イノベーション推進センター植物微生物共生機能チームに客員研究員として在籍。
前川製作所は、以前からゴルフ場の芝を減農薬で栽培する開発を進めていました。この研究は「自然本来の力を引き出す」ことで、病害虫に強い耐性を持つ芝生の栽培を目指すというものです。研究を進めるなかで着目したエンドファイトですが、やがて研究は芝以上に広く応用が可能なイネのエンドファイトに移行、2007年から理研との共同研究を開始しました。現在は「イネファイター」の共同開発および製造・販売を行っています。「イネファイター」の商品開発・販売においては、農業用資材としての“信頼性”が何より重要です。世の中には、科学的な根拠の曖昧な資材も多く、今回、世界的な研究機関である理研との共同開発によって科学的根拠を明確にしたことで、商品の信頼性が担保されたことは、非常に大きな意味があります。今後もイノベーティブな研究を積極的に行い、日本や世界の食料・環境に寄与できるよう成果を上げていきたいと考えております。
※社会知創成事業とは
理研は、平成22年4月に、理研の基礎研究の成果から社会の発展や革新に役立つ「社会知」を創成するために、社会知創成事業を設置しました。
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