質問3 科学は何の役に立つのでしょう?

 皆さんは、教科書に書かれていることをすべて正しい、と思っていますか? テレビやインターネットに出ている情報については、どうでしょう。 私たち日本人は、民主主義の国家に暮らしています。民主主義というのは、国の仕組みや社会生活を規定する法律を決めるときに、多数決を優先する仕組みです。この反対が、専制や独裁です。特定の人の独断で勝手に法律が作られ、一部の人の利益のために使われれば、大多数の人にとって非常に不幸です。 戦争なんて、その最たるものです。

 しかし、多数決で決まったことが正しいこと、ではありません。学校で、生徒会の委員 や学芸会の出し物を決めるときに多数決をするのは結構ですが、それは人数の限られ たクラスや、会議室の中での相対的な意見の多寡(たか)であり、何ら絶対的な評価を 示すものではありません。たまたま、そのとき、そういう意見になったに過ぎません。自 分が正しいと信じることは、相手がおおぜいであっても主張しなければなりません。あと で、皆が認めてくれれば、これも嬉しいことです。

 テレビやインターネットに出ている情報は、ごく少数の人の中での、比較的多い意見を、あたかも「万人の意見に基づく、正しいこと」のように、見せているものがたくさん混じっています。鵜呑みにしないでください。「多数決」という言葉を隠れ蓑に、自分たちのグループにとって都合のよい情報だけが流れていることがたくさんあります。「みんなが言っているから正しい」と思わないでください。 世界には、70億ともいわれる人々が暮らしています。その人たちの意見はどうでしょうか。

 実は、日本人のように恵まれた暮らしをしている人々は、70億のうちの数%といわれています。世界の人々の多くは貧困にあえぎ、文字も読めず、発言したくても言葉を届ける手段もないのが今の世界の現状です。日本では水道水が飲めますが、世界では飲み水もいきわたっていません。地球上の環境保護を議論するときは、先進国だけでなく、そうした国の人々の声にもきちんと耳を傾けなければなりません。もっといえば、生き物たち全部に対する影響を、環境破壊をもたらした人類は考える必要があります。人間を含む生き物はすべて互いにつながって生きています。自分たちだけよければよい、という身勝手な考えは、声の小さなメッセージを見て見ぬふりをしている中から生まれています。

 理科や科学を学ぶのは、決して受験や金儲けのためではありません。ともすれば、見えにくい、自然界の真実を知るためです。すべての動物がそうですが、自分の周りの状況を知ることなく生きられるはずがありません。何が食べられ、何が毒か、敵はどれか、五感を研ぎ澄まして生きるのです。人間は大きな頭脳があるので、少し詳しく、正確に知ることができるのです。人生八十年を生き抜く強い力なのです。

 自分が何をするべきか、という目的を見つけ、それに向かって挑戦し続けるには、理科や 科学で身に付けた「考える力」が味方になってくれます。

 例えば、現在の日本では、エアコンを当たり前のように使います。 建物の中は確かに快適ですが、一歩外に出たとたん、膨大な数の室外機から出る排熱が不快さを増長させる。快適さは、いつでもどこでも「快適」であるとは限らないのです。最近、地球温暖化の問題にひっかけて、「エアコンの設定温度を2度上げましょう」という取り組みがありますが、本来の解決がそこにないのは明白です。温暖化のおおもとを改善できる技術開発を行うか、また仮にエアコンにも責を負わせるのならば、まず、やみくもにエアコンに頼る生活習慣から見直すなど、設定温度など小手先な対応よりもう少し根源的なアプローチを模索(もさく)すべきです。私は、「昔はエアコンなど使わなかった」などと言うつもりはありません。かつてと現在は気象条件も住環境も異なっています。エアコンは、特に病院や介護施設など、体力や行動にハンディを持っている人たちにとって大きな恩恵です。

 科学技術において、いったん獲得した原理は徹底して活用することができる。我々に問われるのは、その活用の仕方です。しかも、科学は人類共通の財産ですから、富める人もそうでない人も、その恩恵を等しく得られるものであるべきと私は思っています。

 理科や科学は、宇宙の誕生や生物の進化をはじめ、わたしたちを取り巻く自然について 客観的に教えてくれます。そこから、人々は自分たちがいかにささやかな存在であるか、 しかし命はどれほど尊いものかを学べます。科学技術や産業技術は、人類社会の持続的 発展、未来世代のための存在でなくてはなりません。そして何よりも、わたしたちをはぐく む地球全体のことを考えなければなりません。

 科学が何の役に立つのか、答えのカギはそんなところにあります。

 さて、質問は以上の三つです。答えを出すヒントをいくつか述べてきましたが、実はそれらはすべてつながっています。どうつながっているのか、それをぜひ皆さんは自分自身で学び、確かめてください。ただし、答えは一つではありません。一人ひとりの頭の中に、それぞれ答えがあるのです。「学ぶ」ということ、「考える」ということ、そして「社会に役立てる」ということを、ぜひ大事にしてください。一人ひとりが努力し、工夫することが大切です。そのうえで、皆さんの知が集まって切磋琢磨(せっさたくま)し、そこからまたすばらしい知が生まれていきます。こうしてでき上がっていった知は本物の知です。これから国全体、世界全体で協力していくことが大事です。必ず皆さんの生活や社会を豊かにしてくれます。 またお会いしましょう。

理化学研究所 理事長 野依良治