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イオンビームを用いた 高電離イオン精密分光法の開発
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山崎原子物理研究室 |
多くの物質で、固体中の原子は規則正しく並んでいます。例えば半導体材料としても有名なシリコン(= ケイ素)の結晶では、原子間の距離は1千万分の5ミリ(精確には 543.101901×10-12m=5.43101901オングストローム)で、非常に小さいものです。結晶をさまざまな方向に傾けて置くことで、広い間隔の並びや狭い間隔の並びを選ぶことはできますが、原子の並びのすき間はせいぜい1千万分の1から百万分の1ミリ程度しかありません。 |
結晶をさまざまな方向に傾けて置くことで、広い間隔の並びや狭い間隔の並びを選ぶことはできますが、原子の並びのすき間はせいぜい1千万分の1から百万分の1ミリ程度しかありません。 |
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私たちの研究室では、この原子間の狭いすき間に別の粒子(イオンビーム)を衝突させることなくすり抜けさせることで、これまでにない高い精度でその通過粒子(通過イオン)の励起(れいき)エネルギーを測定しています。 *** この研究を支える技術は、(1)イオンビームを細く、しかも拡がらないようにしぼる技術と、(2)イオンビームを通り抜けさせる結晶の向いている方向を精密に制御する技術です。 (1)例えば、懐中電灯の光は遠くに行くにしたがって拡がっていきますが、拡がりの角度は10°前後です。しかしながら私たちの使っているイオンビームの拡がりの角度はおよそ1000分の2°で、人間の感覚では拡がっていることは全くわかりません。 (2)結晶を回転させて特定の角度に設定する装置は、10万分の5°の設定精度を持っています。もしも、この装置にレーザーポインターを付けたとしたら500キロメートル先のスクリーンに書かれた43センチ(= 人の肩幅くらい)離れた文字などを別々に指すことができます。(一般のレーザーポインターではこんなに届かない) *** 使用している結晶は、手で触ると粉々に壊れてしまうくらい薄いもので、厚さ10ミクロン(= 百分の1ミリ)程度のシリコン製です。イオンビームの速度は光の速度の数分の1(毎秒数万キロメートル)くらいなので、10ミクロンの厚さを通り抜ける時間は、まさに、ほんの一瞬で、だいたい10フェムト秒(= 100兆分の1秒)しかありません。この100兆分の1秒の間に通過イオンは結晶から何種類もの電場を周期的に(= くりかえし)浴びることで、イオン自身の状態が変化します。 *** この100兆分の1秒間に起こった変化を失わないで無事に結晶を素通りさせるために細くしぼったイオンビームと、10万分の5°の角度精度をもつ装置が必要なのです。さらに、この10万分の5°という値は、世界でも有数の精度であり、イオンの何種類もの状態変化(遷移)がどんな条件でどれくらい起こりやすいかの割合さえ細かく確定することができます。原子物理の公式で計算される励起(れいき)エネルギーと、結晶を微妙に回転させる角度に相当するエネルギーを比較・対応させることで、この遷移を測定します。この測定精度は、今までの方法に比べ100倍以上高く、原子、分子、イオンの科学さらにプラズマ科学への貢献が期待されています。
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理研 原子物理研究室:池田時浩、中井陽一、神原正、 金井保之、山崎泰規 理研 加速器技術開発室:福西暢尚 東大院総合:小牧研一郎、山崎泰規、畠山温 、近藤力 都立大理:東俊行 |
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TEL. 048-462-1111(代表)
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→ 分光とは
現状では原子分光学において多価イオン分光は技術的に困難な部分が多い。
従来の分光法で分光可能なほど、多価イオンを生成および蓄積できない。
数keV領域以上でエネルギー分解能の高い(<1eV)分光器が存在しない。
多価イオンでの高分解能分光の必要性
電子は核からの強い電磁場を受けるためQEDの実験的検証に有利。
にもかかわらず、ラムシフトではいくつかの元素で数%から数10%程度で測定されているのみ
結晶をチャネリングする高速粒子の結晶場に伴う擬似光子場による分光でppmオーダーを目指せないか |
1966年オコロコフによりコヒーレンとな共鳴励起現象が予言された
近年、放射線医学総合研究所のHIMACを用いた実験で、高分解能分光に共鳴励起現象が使える可能性が示された。
2001年理研リングサイクロトロンにて”擬似光子共鳴励起現象を用いた多価イオンの精密分光”がスタートした
(チャネリングによる擬似光子共鳴励起現象とは?)
チャネリングとは下図のようにイオンが結晶中の”すき間(チャネル)”を縫って、結晶中の原子に衝突することなく通過していくことをいう。また、面と面とのすき間を通過する場合を面チャネリングという。
結晶中の原子に衝突しなくても、それらの原子による電場を(イオンの速度が不変なら)周期的に感じることになる。その周期的な電場の周波数(1/周期)がチャネリングしているイオンの励起周波数に一致するように、イオンの速度や原子列間の距離( d )を選ぶとイオンは共鳴的に励起することになる。このことを擬似光子共鳴励起現象RCE( Resonant Coherent Excitation)とよぶ。ここでは、周波数は1017から1018Hz(=数keV)を選ぶことで数keV領域のイオン分光(特定の周波数の光子を与えて、励起されるイオンの割合を測ること)が可能となる。
イオンの速度(光速度の数10%)は加速器に依存しており、非常に安定に速度を維持することは可能だが、 ppm精度 (6桁精度)で速度を操作することは大変難しい。そこで、下図のように面でチャネリングさせて結晶のほうを面内回転(θ)させる方法を用いれば上図の d は d cosθおよび d sinθと書き換えることができ、θを1万分の1°(= 百万分の1ラジアン)の精度で制御すれば、イオンが感じる周波数は ppm の精度で制御できることになる。
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面チャネリングを保ったまま結晶をイオンビームに対して回転させる |
擬似光子のエネルギーと回転角度θの関係 |
※γ = 1/√{1−(v/c)2}、c は光速度、h :プランク定数、k および l :整数(次数に対応)、A およびB :結晶配列の種類に対応した数(1のオーダー) |
角度θを精密に決定 = 励起エネルギーを精密に決定(測定) |
参考:各種電磁波の周波数 (理科年表より) |
計算例
40Ar17+の分光を行うには |
40Ar17+ 94.03MeV/u (質量数40のアルゴン原子核中の核子1個あたりの運動エネルギーが94.03MeV)、v =1.25403×108[m/ s]、γ =1.100946(β = v/c =0.418298)、シリコン結晶(220)、上記のA =1、B =1/√2、d = 5.43102088×10-10[m](真空中、温度 22.5℃)。基礎定数として、核子1個の質量は原子質量単位 931.49MeV、h = 6.6260755×10-34[J s]、c = 2.99792458×108[m/s]、eV単位のエネルギーの変換には電気素量1.60217733×10-19 [C]を用いる。 アルゴン17価イオンの1s-2p遷移エネルギーは3323eVあたりなので、擬似光子のエネルギーを 3323eVに合わせるには、例えば k =3、l =1、θ = 7.6°を選択すればよい。 |
(3323eV付近で他のk 、l の組み合わせはこちら )
40Ar17+ |
40Ar18+ |
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40Ar17+ |
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入る |
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出る | ||
RCEが起こると、17価のイオンが減少し18価のイオンが増える。 |
※原子が励起する、すなわち電子が遠い軌道を周るということは、その電子がはがれやすくなるということである。
Ar17+ が最も少なくなったときが、励起エネルギーに対応 |
図:理研リングサイクロトロンE2照射室 アルゴン(Ar)だけでなく、鉄(Fe)やニッケル(Ni)についても実験を行った。 |
装置(シリコン結晶)
(7±1)μm厚 シリコン結晶 VIRGINIA SEMICONDUCTOR INC.製
厚さ7ミクロンのシリコンウェハーから必要な大きさを切り取り、結晶ホルダーにのせる。 | さらに、結晶ホルダーを取り付け治具にのせる。 | |
ゴニオメータの中心部分に治具ごとマウントして完了。 |
表:ゴニオメータの設定精度 (角度の読み取り精度はこれらの数倍高い) |
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軸 |
可動範囲 |
精度 |
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X | 直線移動 | ± 20 mm | 2.5 ミクロン |
Z | 直線移動 | ± 20 mm | 2.5 ミクロン |
θ | 回転移動 | ± 360° | 0.00005° ( 0.8 マイクロラジアン ) |
φ | 回転移動 | ± 5° | 0.0001° ( 1.7 マイクロラジアン ) |
ω | 回転移動 | ± 360° | 0.00005° ( 0.8 マイクロラジアン ) |
1.θ用角度エンコーダ | 2.θ用パルスモータ | 3.θ軸シャフト |
4.X用パルスモータ | 5.ω用角度エンコーダ | 6.φ用パルスモータ |
7.ω用パルスモータ | 8.大散乱槽 | 9.シリコン結晶ターゲット取り付け位置 |
10.φ用角度エンコーダ | 11.真空領域 |
図:大散乱槽に入れているところ |
ゴニオメータ仕様 → JPG file (246kB)
図:MCP 上に到着したイオンの位置によってプリアンプに到着するシグナルに時間差が生じることを利用してイオン1個1個の到着位置を求める。 |
図:到着イオンのための2次元位置検出器(MCPを使用) |
一番上の黒い円盤(MCP)のうち、青く描いた3重の円(直径約4センチ)の領域が検出可能部分である。このページで紹介する実験例では、元々のビームやチャネリングによって無傷で到着したビームはMCPのだいたい中心付近に到着するように設定してある。そして、電子を失ったイオンが到着(イオンの電荷、つまり価数が大きいイオンが到着)する場合は画面左方向にずれた位置に到着するようにしてある。このように、MCP上の希望の場所に希望の価数のイオンを到着させることができるのは、MCPの上流に置かれた電磁石でイオンビームに対して下から上に(下がN極、上がS極)磁場をかけているからである。
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チャネリングしていないときのイオンビームの到着位置の分布は以下の図のとおりである。
図:チャネリングしていないときのイオンビームの到着位置の分布 |
チャネリングしていないので、ほとんど全てのイオンが電子を失っており、イオンの価数の種類は1種類(裸の価数)のみである。これは図でピーク(山)がひとつしかないことに対応している。
7枚のパターンは同じデータを違った表し方でしめしたものである。1の図はイオン1個1個の到着位置を点で表したもの。2は縦横0.5ミリ間隔のヒストグラムを作り、最も多くイオンが到着したビン(セルともいう)を赤い四角で表し、順に色付けしたもの。3は2のヒストグラムを色の変わりに柱の高さで表したものである。2、3は最も多く到着した場所を0.5ミリの間隔で知ることができる。4は1ミリ間隔のヒストグラムを元に周辺のビンの高さを考慮して滑らかにつないだものである。メッシュのたわみ具合から分布の偏りやゆがみの有無を見ることができる。5は4でできた斜面の光の反射を考慮したもので見る角度、光の当たる方向を変えることで面のふくらみや凹みの有無や稜線(山の尾根)の方向を知ることができる。
この図ではビームの直径が6ミリくらいに太くなっていることがわかる。これはチャネリングしていない、つまり、結晶の中の原子とぶつかったことで、そのイオンの進行方向が最初のビームの進行方向から少しずれてしまったことを示している。
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チャネリングしているときのイオンビームの到着位置の分布が以下の図である。
図:チャネリングしているときのイオンビームの到着位置の分布 |
チャネリングしているためピンク色の第1円の内側、MCP中心の少し左側にもピークが現れている。結晶中の原子とはほとんど衝突していないと考えられ、ピークは細く(鋭く)直径は2ミリほどである。また、左側のなだらかな山は、やはり電子を全て失ったイオンの到着位置を表しているが、チャネリングしていないときに比べると山の形は縦長であり、裾野の広がりは6ミリくらいあるが背の高いビンの個数を考えると山の上のほうは、かなり鋭いといえる。これはチャネリングしているにもかかわらず電子がはぎ取られたイオンが存在していることを示している。
下の図はアルゴン(原子番号18)の17価のビームを使った実験の例である。アルゴン17価のイオンは1個しか電子を持たない。その電子がはぎ取られるとアルゴン18価のイオンになる。よって、MCP上では18価と17価、2つのピークが現れる(図右上の緑のワク)。図の右下の赤線で囲まれた折れ線グラフは17価のイオンの17、18価の合計に対する比で、17価のイオンが少なければ折れ線グラフは落ち込む。横軸は結晶を回転させていく角度である。
イオンビームはシリコン結晶内の2枚のチャネリング面のすき間を直進している(ちょうど住宅の床下の平べったい空間を進んでいくように)状況で、結晶のほうをビームに対して 6.00°から 7.99°まで少しずつ回転させている(オフセットは -0.5547°)。角度 Theta を変えてもイオンと結晶中の原子が衝突する確率は変わらないはずだが、6.6800°、6.8167°など4箇所で大きく比率が下がっていることがわかる。
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上記のように遷移エネルギーの測定実験はすべて面チャネリングで行われるが、イオンビームが結晶の水平面、垂直面どちらにも平行なとき軸チャネリングが起こる。いわば、イオンビームにとっては円筒のトンネルの中を通過しているような状態となる。ところが、逆に軸チャネリングの角度から 0.03°ほどずれると、その円筒のトンネルの外側で反射されることになり、MCPに到着するイオンのパターンはリング状になる。以下にMCPでのパターンと17価アルゴンの比率を示す。軸チャネリングの角度は 4.574°でMCPパターンはそれより 0.03°離れた、4.5455°の時のものである。ちなみに、このデータは垂直方向の回転( Phi 方向)で結晶の向きを変えている。
さらに、軸チャネリングの角度まで後 0.02°のところまで近づいてくると以下のように17価のイオンビームもリング形状を示すようになる。
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Example 4 Example 5 Example 6 Example 7
現在までに、40Ar17+(94MeV/u)、 36Ar17+(115MeV/u)、 56Fe23+(83MeV/u)、
58Ni25+(72MeV/u) などで実験を行った。 (周期律表)
このプロットは、40Ar17+ 94MeV/u、 次数( k , l ) = ( 3 , 1) 、シリコン(001)の時のもので、縦軸はアルゴン17価のイオンの生き残り割合、横軸は結晶の回転角度を擬似光子のエネルギーに換算し、j = 3/2 のピークを3323eV に合うようにシフトさせたものである。
アルゴン17価イオンの基底状態から n = 2 への遷移のうち、j = 3/2 のディップの幅はおよそ 1.5eV であった。 横軸ステップを 0.092eV にしてデータを取ったが、1点の決定精度は約千分の1eV である。結晶中の原子の静電場(計算は可能)による Stark(シュタルク)効果を補正すれば、少なくとも1eVより良い精度でピーク位置を求めることができ、原理的には 3.3keVに対して1ミリeVの高分解能分光(ppmオーダー)が可能である。これは他のどんな分光法より桁違いに優れている。ちなみに、Stark 効果は結晶原子に近づくにつれて大きくなるので、イオンがチャネルの中心に沿って通過している時はStark 効果は最も小さくなるが、中心から離れてチャネルの面に近づいていくとこの効果は大きくなってしまう。実際の個々のピークのエネルギーを決定するためには、次の段階としてエネルギーの較正を行う。
現在、他のデータも同様な解析を行っている。
modified, 22/Apr/2004