分光とは

 

 太陽からの光をプリズムに通すと7色に分かれることはよく知られている。また、プリズムで実験しなくても雨上がりや噴水の近くなどで太陽光による虹を見かけることがある。実際の虹やプリズムによって分けられた太陽光は7色だけではなく、数え切れないほどの色が含まれている。ここで大事なことは色の並ぶ順番である。赤、だいだい、黄色、緑、青、あい色、紫、見方によっては紫から読み上げてもかまわないが、赤の隣は必ずだいだい色で、赤から数えているのに黄色と緑だけ順番が入れ替わっていることは絶対にない。これは赤から紫に向かって並ぶ、その並び方は光のエネルギーが低いものから高いものへの順番になっているからである。もしも、我々が色の名前を決めていなかったとしたら、赤、だいだい色、、というかわりに1.8エレクトロンボルト、2.0エレクトロンボルト、の光、と言わなければならない。そのまま続けると黄色2.2、緑2.4、青2.7、あい色2.9、紫3.1エレクトロンボルトということになる。

 

 色の名前がなくては、日常生活では不便であるが、赤とだいだい色の中間の色を誰かに伝えたい場合、数字で1.9エレクトロンボルトと表せるのは便利である。また、1.901と1.902の差が大事であるという人もいるかもしれない。実際、太陽からの光をプリズムで分け、7色(=7分割)どころか何千分割にも分けて見てみると、ところどころ、地上にはほとんど届いていない色があることが知られている。このように、太陽から届いた光(の束)にはいくつもの色が含まれており、あるいはいくつかの色が含まれていなかったり、その光の束をプリズムに通すことで光を赤から紫までの7色、あるいは赤から紫まで細かく何千色もの色に分けて個別に色を測定することができる。これを分光という。そして、どこまで細かく分光できるか、すなわち、エネルギーを上から何桁目まで決められるかも、分光方法の特徴のひとつになる。また、上から2桁までしか決められない分光に比べて、上から3桁まで決められる分光のほうがより精密な分光である、と言い、分解能が高い、とも言う。

 
 太陽から来ているはずの、ある色が地上に届かない。これは太陽表面から出発して地上に来るまでの間に、太陽大気中の原子や地球大気の分子に吸収されてしまう色があるからである。プリズムで多くの色に分けられた光の帯をスペクトルというが、この太陽スペクトル中に見られる空白部分(吸収線)をフラウンフォーファー線という。フラウンフォーファーは1787年にドイツで生まれたガラス職人兼物理学者である。この吸収線はすぐに見つかったわけではない。彼はガラスの研究に用いる、単色光、すなわち、それ以上分光できない光を探していた。

 単色光をプリズムに通してスペクトルを見ると真っ黒な帯の中に1箇所だけ色が現れることになる。単色光の場合、この1本だけで、しかもそこだけ細く輝いているので輝線という。彼はろうそくの芯に油を染み込ませると、この”輝線”が現れることを発見したので、太陽光でも”輝線”があることを期待して分光してみると逆に”暗線”、つまり吸収線を見つけた。しかもそれは600本近くもあった。そこで、彼はこの太陽暗線にA線、B線、C線、、と名前をつけたため、これらの暗線はフラウンフォーファー線と呼ばれるようになった。

 

 スペクトルの見た目は、昔は、色の帯であったかも知れないが、分光が研究手段になってからは、棒グラフや折れ線グラフ、ヒストグラムなど、横軸に光のエネルギー、縦軸にそのエネルギーをもった光の強度(そのエネルギーをもった光が、例えば1秒間に、何発来たか)を記録したものを用いている。こうすれば、ある特定のエネルギーが来たか来なかったかだけではなく、どのエネルギーの光が最も多く来たか、さらに、他のエネルギーの光よりも何倍多く来たかを議論することができる。

 

 プリズムと人間の目の組み合わせで測定している限り、太陽から来ている光は赤から紫までのエネルギーしか知ることができない。しかし実際は紫外線も来ており肌が黒くなることから、今では多くの人が太陽からの紫外線の存在を知っている。赤から紫までの光(エネルギー帯)を紫外線のエネルギー帯などとは区別して可視光という。紫外線は可視光よりもエネルギーが高い。また、可視光より少しだけエネルギーが低いエネルギー帯を赤外線と言う。一方、紫外線の次に高いエネルギー帯をX線と呼ぶ。そして、すべてのエネルギー帯の光を総じて電磁波という。

 

 太陽の中であろうと、ろうそくの炎の中であろうと原子や分子からはいろいろな光が出て、そして、周りの大気中の原子や分子でいろいろな光が吸収される。原子からの光を分光し、特定のエネルギーの輝線や吸収線をさまざま原子と結びつけることで手の届かない太陽や惑星、恒星の大気や表面にどんな原子や分子が存在するかを特定することができる。しかし、それだけではない。現在、プラズマや高エネルギーイオンビーム、あるいは低速イオンビーム、そしてほとんど電子を持たないような高電離イオンなどが”光源”として利用できるようになってきた。そして、原子や分子の同定だけでなく、原子や分子、イオンの構造そのものを研究することが可能となった。そのため、分光は可視光だけでなく紫外線やX線領域でも盛んに行われている。そして、分光方法も光源の規模に合わせたり、電磁波のエネルギー帯に合わせたり、あるいは必要な分解能に応じて、現在までに非常に多くの分光方法が登場している。

 スペクトルの研究は水素原子以外の複雑な電子構造をもつ原子・イオンについても拡がっている。一方、分子については可視光・紫外領域の研究を通して電子軌道についての知見が得られ、また、赤外やそれ以下のエネルギー帯(マイクロ波など)により、分子の振動や回転について理解が進んでいる。
 
 ここでは原子・イオンのうち原子番号の大きい原子やイオン(”重イオン”)について、そして、複数の電子をはぎ取られた”高電離イオン”(多価イオンとも言う)について分光を行っている。一般に原子やイオンは原子番号が大きくなれば高いエネルギーの電磁波を吸収、放出することができる。また、高電離イオン中の電子は、高電離でないイオンに比べて核からの電場を強く受ける。したがって、同じ電子の数、軌道をもつイオンどうしでも原子番号の大きいイオン、すなわち高電離イオン、のほうが高いエネルギーの電磁波を吸収や放出することができる。本研究では、アルゴンや鉄、ニッケルの高電離イオンなどで分光を行い、電磁波のエネルギー領域はX線領域を選んでいる。
 
 ではX線を分光するためにはどうすればよいか。X線は可視光線と違ってほんのわずかな角度でしか反射しない。しかも、X線の中でもエネルギーの高い領域では、ますます、それが顕著になってくる。したがってX線の反射角度とエネルギーを対応させるような分光方法は使えない。現在、よく使われる分光方法として、X線の光子ひとつひとつがもつエネルギーを個別に測って、その光子のエネルギーに比例する電圧や電流を出力させる検出器を用いる方法がある。X線を検出部分に入射させることで電気信号を得るのであるが、検出部分はガスや半導体あるいは無機物の結晶などがある。最も高分解能なものは半導体を用いた検出器であり、ガスや無機物の結晶のタイプに比べると数倍から数10倍も精密に分光ができる。
 
 ところがその半導体検出器よりもさらに数10倍から100倍以上も分解能の高い分光法がある。それがここで紹介するイオンビームを用いた新しい分光法である。