量子スピン系についてまとまったものを準備中です

ここでは二等辺三角形モデルの解を示します.(中級者=行列や複素数でびびらない人向け)

最初はスピンだけを扱うモデルで,次に分子軌道法(正三角形のみ)で考えます.ふつうの量子化学とはやや違う手法も使っていますが,それは奇を衒ってのことではなく,正三角形モデルの物理的性格を最も素直に反映し,基本的かつ応用の利くやり方を採用しただけのことです.

まず二等辺三角形の形と頂点番号を次図のように決めます.

         3
        ・ ・
     J ・   ・ J
      ・     ・
     1−−−−−−−2
       J0=−1

頂点1-2のスピン間に働く相互作用(交換相互作用)は -1 (反強磁性的),頂点2-3,3-1間の相互作用は J (等しい)とします.

次に三角形の3つの頂点に1つずつ↑または↓のスピンを置く置き方は,全部で23 = 8 通りです.実際に書き下すと,

  1. ↑↑↑ ((↑の数)−(↓の数)=3)
  2. ↑↑↓ ((↑の数)−(↓の数)=1)
  3. ↑↓↑ ((↑の数)−(↓の数)=1)
  4. ↓↑↑ ((↑の数)−(↓の数)=1)
  5. ↓↓↑ ((↑の数)−(↓の数)=−1)
  6. ↓↑↓ ((↑の数)−(↓の数)=−1)
  7. ↑↓↓ ((↑の数)−(↓の数)=−1)
  8. ↓↓↓ ((↑の数)−(↓の数)=−3)
となります.量子力学では,これらが共鳴することによって,その組合せ(足したり引いたり)で安定な状態ができるようすを調べます.そのためには,これらがつくる行列(ハミルトニアン)の固有値(エネルギー)と固有ベクトル(状態)を求めればよいのですが,このままでは8×8行列になって,ちょっと面倒くさい.そこで次の2つのことを利用すればもっと楽になります.
●(↑の数)−(↓の数)が反対符号のものは同じ結果を与えるので,片方だけ計算すればよい.
↑とか↓とかは相対的なものなので,すべての↑と↓とを入れ替えても,同じ結果になるはずです.(実はこれは,時間の向きを逆にしても量子力学の法則が不変である,ということです.)
●(↑の数)−(↓の数)が異なるものは,別々に扱える.
系内で,↑は,自分が↓になることによって,隣の↓を↑に変えることができます.その逆も可能です.しかし,周りに何の変化も及ぼさずに↑が↓になること(およびその逆)はありません.つまり,いくらスピン間に力が働いても,(↑の数)−(↓の数) は不変です.(内力のみが働く系の運動量は保存する,というのに似ていますね.)ということは,いくらスピン間に力が働いても(↑の数)−(↓の数) が異なる配置になることはないので,共鳴もしないわけです.
というわけで,8個の配置を,共鳴可能なものでグループ分けすることができます.
  1. ↑↑↑         ((↑の数)−(↓の数)=3)
  2. ↑↑↓,↑↓↑,↓↑↑ ((↑の数)−(↓の数)=1)
  3. ↓↓↑,↓↑↓,↑↓↓ ((↑の数)−(↓の数)=−1)
  4. ↓↓↓         ((↑の数)−(↓の数)=−3)
計算はそれぞれのグループ内だけでやればよいので,最大でも3×3の行列で済むことになりました.

次にやることは,各配置に働く力の性質を考えて行列をつくることです.やり方は,

●1つの配置の中で,スピン1対に働く相互作用を J とすると,
その対が↑↑または↓↓なら,その対がもつエネルギーは −J/2,
その対が↑↓または↓↑なら,その対がもつエネルギーは J/2,
これを,その配置に含まれるすべての対に関して数えて合計します.
●ある配置の中の対↑↓を入れ替えて↓↑にすると別の配置になるとき,その対に働いている相互作用が J なら,その2つの配置の間の共鳴エネルギーは,−J です.(この共鳴があるので,量子力学の効果が現れます.)

まず,↑↑↑の場合から調べます.この場合はグループ内の配置が1つだけなので,単にエネルギーをカウントするだけになります.対1-2, 2-3, 3-1すべてが↑↑なので,エネルギーは,
E1 = 1/2 - J/2 - J/2 = 1/2 - J

次に,↑↑↓,↑↓↑,↓↑↑のグループです.

まず各配置のエネルギーを数えます.

↑↑↓を見ると,
対1-2は↑↑だから1/2,対2-3は↑↓だから J/2,対3-1は↓↑だから J/2となって,合計は 1/2 + J .
↑↓↑を見ると,
対1-2は↑↓だから−1/2,対2-3は↓↑だから J/2,対3-1は↑↑だから −J/2となって,合計は −1/2 .
↓↑↑を見ると,
対1-2は↓↑だから−1/2,対2-3は↑↑だから −J/2,対3-1は↑↓だから J/2となって,合計は −1/2 .

続いて,共鳴のエネルギーを調べます.

↑↑↓の中の対2-3(↑↓)を入れ替えると,↑↓↑になります.
ゆえに,↑↑↓と↑↓↑の間の共鳴エネルギーは −J
↓↑↑の中の対3-1(↑↓)を入れ替えると,↑↑↓になります.
ゆえに,↑↑↓と↓↑↑の間の共鳴エネルギーは −J
↑↓↑の中の対1-2(↑↓)を入れ替えると,↓↑↑になります.
ゆえに,↑↓↑と↓↑↑の間の共鳴エネルギーは 1.

以上の結果を表(行列)にします.対角のところにはその配置のエネルギーを,非対角のところには配置間の共鳴エネルギーを書きます.

↑↑↓ ↑↓↑ ↓↑↑
↑↑↓1/2 + J J J
↑↓↑J −1/2 1
↓↑↑J 1 −1/2

この行列の固有値と対応する固有ベクトル(規格化された)は,
E2 =−3/2,  2-1/2[(↑↓↑)−(↓↑↑)],
E3 = 1/2 −J, 3-1/2[(↑↑↓)+(↑↓↑)+(↓↑↑)],
E4 = 1/2+2J, 6-1/2[2(↑↑↓)−(↑↓↑)−(↓↑↑)],
となります.

残りの2グループは,↑と↓を全部入れ替えると,すでに計算したグループと同じになるので,これで必要な結果が求まったことになります.つまり,この3つのスピンからできた二等辺三角形の系は,E1E4の4つのエネルギー準位(それぞれ,↑,↓を入れ替えたものと二重に縮重している)をもっています.また,E1 = E2 = 1/2−J で,ここは4重に縮重しています.

4つのうち最低のエネルギーをもつ状態が最も安定な状態で,それは,

J <−1
E4 = 1/2+2J
−1 < J < 2 で
E2 = −3/2
2 < J
E1 = E3 = 1/2−J
です.

J <−1での安定状態は,
2(↑↑↓)−(↑↓↑)−(↓↑↑)=[(↑↑↓)−(↑↓↑)]+[(↑↑↓)−(↓↑↑)]
と書き直してみると,2-3間に結合(電子対=↑↓−↓↑)ができたものと,1-3間に結合ができたものの1:1の混合になっています.1-2間の結合は形成されていません.1-2間に働く力が相対的に弱いからです.

では,各頂点のスピンの期待値はどうなっているでしょうか?これを求めるには,
期待値=[(係数の2乗)×(その頂点のスピン)]の合計
という式を使います.↑ならスピンは1/2,↓なら-1/2です.

頂点1
[4×(1/2)+1×(1/2)−1×(1/2)]/6=1/3
頂点2
[4×(1/2)−1×(1/2)+1×(1/2)]/6=1/3
頂点3
[4×(-1/2)+1×(1/2)+1×(1/2)]/6=−1/6
合計すれば正味1/2になっていますが,頂点3に下向きの分布が現れています.これがスピン分極です.

−1 < J < 2 での安定状態は,(↑↓↑)−(↓↑↑)で,これは1-2間に結合ができたものです.頂点3だけがスピンをもっています.

2 < J では,(↑↑↑)と(↑↑↓)+(↑↓↑)+(↓↑↑)が安定になります.(実はこれは,電子3個分のスピンを合成したもの(3/2)が,上向きになっている状態と横向き近くになっている状態です.)

さて,J =−1と J =2では,複数のエネルギー準位が一致しています.ここでフラストレーションが問題になります.

先にJ =2の方を見ると,ここは,1-2間が反強磁性的なので結合をつくっていたところへ,2-3間と3-1間が強磁性的になってきて,1-2もスピンが平行になろうとして結合が破壊されるという境界点です.この前後で,系の正味のスピンは,1/2(電子1個分)から3/2(電子3個分)へと変わります.

J =−1の方が,正三角形のフラストレーション系です.このとき,1-2間だけに結合がある状態(3だけにスピンがある状態)と,2-3間と3-1間に結合が共鳴した状態(スピン分極状態)とが,同じエネルギーをもちます.このような場合,この2つの適当な線形結合が解であるといって片付けてもよいのですが,正三角形になっている以上は頂点3だけを特別扱いする理由がありません.そこで,3頂点を対等に扱う(係数の絶対値が等しいということ)解を捜すことにし,そのためにいったん行列に戻ります.この正三角形の場合,行列は
↑↑↓ ↑↓↑ ↓↑↑
↑↑↓−1/2 1 1
↑↓↑1 −1/2 1
↓↑↑1 1 −1/2
です.そのまま固有値を求めてもかまいませんが,この型の行列の固有ベクトルはすでに形が知られている(3回巡回群の規約表現という名前があります)ので,そっちを使います.それは,x3=1 の解を,x=1, ω,ω2 とする(ω=(-1+31/2i)/2,ω2=(-1-31/2i)/2 です)と,(1,1,1), (1,ω,ω2), (1,ω24) と書けます.3番目のものは,ω3=1 を使うと,(1,ω2,ω) と同じです.規格化した状態の形で表せば,
3-1/2 [(↑↑↓)+(↑↓↑)+(↓↑↑)],         [1]
3-1/2 [(↑↑↓)+ω(↑↓↑)+ω2(↓↑↑)], [2]
3-1/2 [(↑↑↓)+ω2(↑↓↑)+ω(↓↑↑)], [3]
の3つですが,[1] は前に求めたエネルギー 1/2 −J の状態で,[2] や [3] よりエネルギーが高いので以下とりあげません.

[2] で,各頂点にあるスピンの期待値を求めてみます.こんどは係数が複素数なので,単なる2乗ではなく,絶対値をとってから2乗します.
頂点1:[1×(1/2)+|ω|2×(1/2)+|ω2|2×(-1/2)]/3
    =(1/2+1/2-1/2)/3=1/6
頂点2:[1×(1/2)+|ω|2×(-1/2)+|ω2|2×(1/2)]/3
    =(1/2-1/2+1/2)/3=1/6
頂点2:[1×(-1/2)+|ω|2×(1/2)+|ω2|2×(1/2)]/3
    =(-1/2+1/2+1/2)/3=1/6
この通り,(1/6は1/2の1/3倍なので)どの頂点にも電子1/3個分のスピンが見えます.[3]の方もほぼ同じ計算で,同様の結果となります.

さらにがんばって式を変形すると,[2] から
3-1/2 [(↑↑↓)+ω(↑↓↑)+ω2(↓↑↑)]
=(1/3) [(31/2-i)/2] [(↑↑↓)−(↑↓↑)]
+(1/3) i [(↑↓↑)−(↓↑↑)]
+(1/3) [-(31/2-i)/2] [(↓↑↑)−(↑↑↓)]
が得られます.([3] からも似たような式が出ます.)係数の絶対値がすべて等しいので,これは結合がどの辺にも同じ割合で共鳴していることを表しています.

正三角形の場合のフラストレーションは,2つの準位が等しいという結果をもたらしていて,スピンも結合電子対も均等に分布していることがわかりました.ここで出てきた解の[2]と[3]は,スピンなり結合なりが正三角形上を右回りまたは左回りに動き回っていることに対応しています.(そのことを予想しつつ,巡回群の規約表現を使ったのでした.)

では次に,分子軌道法として最も簡単なヒュッケル法を使って,正三角形の場合を考えてみます.(頂点間の共鳴積分をすべて−1とします.)ヒュッケル法の行列は次のようになります.

ψ1 ψ2 ψ3
ψ10 −1 −1
ψ2−1 0 −1
ψ3−1 −1 0

こんどはスピン配置ではなく,ある電子1個がどの頂点にあるかという表示で,行列をつくっていることに注意してください.この行列の固有ベクトルも,3回巡回群の規約表現になります. エネルギー固有値と固有状態は,
E=−2: 31/21+ψ2+ψ3],
E=1: 31/21+ωψ2+ω2ψ3],
E=1: 31/21+ω2ψ2+ωψ3],
です.固有値は,固有ベクトルに行列をかければすぐに出てきます.

ここに電子3個を入れていくわけですが,最初に2個(↑と↓)が E=−2 の準位に入り,残り1個(↑)は E=1 の2つの分子軌道のうち一方に入ります.最初の2個は同じ軌道に入って打ち消してしまうので,スピンは残り1個の分だけ考えればよいことになります.E=1 の2つの軌道では,各頂点の軌道の係数の絶対値はすべて1/3なので,こんども各頂点に電子1/3個分のスピンが現れていることがわかります.しかし,分子軌道法でもやはり,2つの異なった状態が同じエネルギーをもつという特徴が,フラストレーションのある正三角形分子において現れています.

以上