(DMe-DCNQI)2Cuにおける異常な同位体効果


ジメチルジシアノキノンジイミン(DMe-DCNQI)と呼ばれる ,電子受容性有機分子は銅とモル比2:1の塩(DMe-DCNQI)2Cuをつくります。
結晶内では ,平面的なDMe-DCNQI分子が一分子周期で積み重なって一次元カラムを形成しています。さらに ,分子末端の窒素原子が銅イオンに配位しています。したがって ,有機分子の一次元カラムは(上下方向にややつぶれた)四面体型に配位した銅イオンを介して相互に連結し,三次元的なネットワ−クを形成しています。


この銅塩は,極低温まで金属です。
このこと自体,大変興味深い事です。というのは,通常,分子性伝導体の電気伝導を担っているのは主に有機分子のpπ電子ですが ,この物質では,銅の3d電子がpπ電子に混成して,非常におもしろい電子構造を与えていて(銅の平均原子価は,約4/3+で混合原子価状態にあることがわかっています),このことが金属状態を低温まで安定化しているからです。実際 ,銅イオンをLi+やAg+にかえても同じ構造を持つ結晶が得られますが,これらはいずれも典型的な一次元伝導体であって,低温で絶縁体となります。

下図は,計算で求めた(DMe-DCNQI)2Cuのフェルミ面です。
ドハ−ス-ファンアルフェン効果と呼ばれる実験で,この物質が確かにこのようなフェルミ面を持つことが確認されています。フェルミ面は,三つの部分(FS1,FS2, FS3) から成り立っています。FS1は,純粋に有機分子のpπ電子に由来する一次元バンドによるものです。FS2は,大部分がpπ電子からできていますが,3d電子が少し混ざり込んでいるもの,そして,FS3は主に3d電子からできている3次元的なフェルミ面です。



ところで ,DMe-DCNQI分子は ,2個のメチル基(CH3-)に6個そして6員環に2個 ,合計8個の水素原子を持っています。
驚くべき事に ,DMe-DCNQIの8個の水素原子をすべて重水素に置換する(d8-体)と,その銅塩は約84Kで絶縁体に転移します。この金属−絶縁体転移は ,非常に狭い温度範囲で抵抗が一挙に7-8桁もジャンプするという激しいものです(左図の縦軸に注目して下さい)。絶縁体領域での抵抗値は,通常の測定装置では測れないほど大きいものです。
先程述べたように重水素置換していないDMe-DCNQI(h-体)の銅塩は極低温まで金属でした。

では,部分的に重水素化するとどうなるのでしょうか。
DMe-DCNQIの8個の水素原子を重水素に置換する仕方は,その位置と個数を考えると全部で35通りあります。これらを有機合成的につくり分けることは基本的に可能です。
その一つであるd2[1,1;0]-体の比抵抗の温度依存性を右に示します。この例では,二つのメチル基の各々に重水素が1個ずつ入っています。温度を下げていくと,系はまず先程と同様に激しい金属−絶縁体転移を示します。
しかし,さらに温度を下げていくと,系は再び金属状態に戻ってきます。この「絶縁体−金属」転移も極めて激しいものです。抵抗は一挙に8-9桁も減少します。
このような劇的な転移が,わずか2個の水素原子を重水素に置換するだけで起こるということは驚きです。
重水素化によって何が起こったのでしょうか。
実は ,約500bar以下の圧力下でh-体が同様の金属−絶縁体−金属転移を示すことは以前から知られていました。しかし,このような条件を実現するには,ヘリウムガスで静水圧をかけるという特殊な技術が必要なため,詳しい物性デ−タは得られていませんでした。
重水素化した(DMe-DCNQI)2Cuの格子定数(室温)を測定してみると,重水素化によってカラム方向の軸がわずかに(約0.1%)縮んでいることがわかります。これは ,C-D結合がC-H結合よりわずかですが縮んでいることに対応しています。結晶構造を見ると ,DMe-DCNQI分子が積み重なっている方向の結晶軸の長さはメチル基の嵩高さに影響されやすいことがわかります。
先に述べた圧力効果を考え合せると,重水素置換は,現象的には,非常に弱い圧力をかけたことと同等のようであるといえます。つまり,"ケミカル・プレッシャ−"です。ミクロなメカニズムについてもある程度理解が進み ,銅イオンの配位状態が重要な鍵となっていることが明らかとなっています。
この物質は,磁気的にも非常に興味深い性質を示します。
絶縁状態では,一次元性の強い有機pπバンドのフェルミ面がネストして電荷密度波が生じています。同時に,(高温)金属相では混合原子価状態にあった銅が,絶縁相ではCu2+とCu+とに分離し,Cu2+上には局在スピンが現れます。
これは,極低温まで絶縁状態を保つd8-体の静磁化率をみると良くわかります。金属相ではパウリ常磁性を示しますが,転移と同時に磁化率は大きくジャンプし,Cu2+の出現に対応しています。絶縁相では,磁化率はキュリ−-ワイス的に振る舞い,さらに低温では反強磁性相への転移が起こります。

(DMe-DCNQI)2Cuにおける異常な同位体効果は,重水素置換だけにはとどまりません。
右図に示すように,シアノ基の炭素原子を13C原子に置換しても,さらに4個の窒素原子をすべて15N原子に置換しても,重水素置換と同様の効果が観測されます。
この場合の同位体効果のメカニズムはまだよくわかっていませんが,いずれにしても,この系は様々な同位体置換に対して電子状態が著しく変化するたぐい希な系であるといえます。

DCNQI-Cu系は,低次元伝導電子系,強い電子相関,電子−格子相互作用,有機pπバンドと金属d軌道との相互作用等の,多くの魅力的な問題に深く関わっています。
また,ここで紹介した同位体置換体のように,合成化学的手法によって物性を精密に制御できるのも大きな特徴です。従来の分子性導体の伝導性を担っていたのはpπ軌道でしたが,これにd軌道が加わることによって,新しいタイプの分子性金属が生まれます。
このようなπ−d相互作用も今後の分子性導体開発の重要な課題です。



参考文献

R. Kato, H. Sawa, S. Aonuma, M. Tamura, M. Kinoshita, and H. Kobayashi, Solid State Commun., 85, 831 (1993).
S. Uji, T. Terashima, H. Aoki, J. S. Brooks, R. Kato, H. Sawa, S. Aonuma, M. Tamura, and M. Kinoshita, Phys. Rev. B, 50, 15597 (1994).
S. Aonuma, H. Sawa, and R. Kato, J. Chem. Soc. Perkin Trans. 2, 1541 (1995).
加藤 「固体物理」30(3), 269 (1995).
R. Kato, Bull. Chem. Soc. Jpn., 73, 515 (2000).

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