ヒト小腸での鉄分吸収のメカニズム

            〜DcytbとビタミンCのはたらき〜

 

2020年1月執筆(理研 杉本 宏)

dcytb0.jpg

鉄は小腸で吸収される

私たちが食物から得ている鉄分には、肉や赤魚などに多く含まれる「ヘム鉄」と、大豆・野菜や穀物に多く含まれる「非ヘム鉄」の2種類があります。いずれも小腸の管腔にある上皮細胞に取り込まれることで体内へ吸収されています(図1)。じつは、非ヘム鉄の多くは3価の陽イオンであるFe(III)の状態であり、還元されてFe(II)にならないと細胞内へは吸収されません。その理由は、ヒトの小腸上皮細胞の中へ取り込む役割を担っているDMT-1という膜タンパク質が2価の陽イオンしか運ばないためです。このとき、Fe (III)に電子を一つ渡してFe(II)へと還元する役割を担っているのが、Duodenal cytochrome b561(Dcytb)というタンパク質です。Dcytbは小腸の絨毛にある上皮細胞の脂質膜に発現しており、細胞外(管腔側)のFe (III)を還元するための電子は、細胞内のアスコルビン酸から伝達されることが以前の研究から予想されていました。その詳細な仕組みを分子構造から解明することを目指して、理研とブリテッシュ・コロムビア大学Grant Maukらの共同チームは2010年からX線結晶構造解析のプロジェクトをスタートしました。その実験内容や研究成果 [1] を以下に解説します。

  dcytb1.jpg

図1. 腸絨毛にある上皮細胞で2価の鉄イオンが取り込まれる 腸絨毛の中には網状に毛細血管が走行し、消化された物質のうち、アミノ酸やブドウ糖、鉄イオンなどが吸収されます。

ミクロンサイズの小さな結晶試料からX線構造解析するには

ヒトの膜タンパク質の構造解析を行うには、安定な試料を大量に調製して結晶化のプロセスにもっていくことが必要になります。実験ではまず、ヒトDcytbの遺伝子を大腸菌の細胞膜に発現させ、界面活性剤存在下で高純度に精製する方法を確立しました。当時理研の特別研究員の富樫ひろ美らは、Dcytb試料とモノオレインという脂質を混合してLipidic cubic phase(LCP)法と呼ばれる特殊な技術で良質な結晶を作る方法を見出しました(図2)。この結晶のサイズは5 μmしかない微小結晶であったため、従来の通常のデータ収集や処理方法では解析を行なうことは不可能でした。そこで、理研の山本雅貴グループの平田邦夫らが2010年にSPring-8に建設した世界初の「マイクロフォーカスビームライン」であるBL32XU [2] のX線ビームを使って1000個近い微小結晶から16時間足らずで大量のデータを収集しました。さらに、山下恵太郎(現 MRC)らが開発したKAMO [3] と呼ばれるプログラムを利用して格子定数のクラスター解析に基づいたデータ処理を行うことで、構造解析に必要なX線回折強度データが得られました。このように、LCP法による結晶化と、BL32XUでのデータ収集システムの利用がブレイクスルーとなってDcytbの構造解析を達成しました [1] 。

実験の次のステップでは、基質となる鉄イオンが結合した状態を解析することを目指しました。しかし、鉄イオンの結合は不安定なため良い結晶を得ることができませんでした。そこで、M. Ganasen(兵庫県立大学の大学院生)らの協力によって、DcytbにZn2+とAscを同時に結合させた結晶をソーキング法で調製することができたため、鉄イオンの結合を模した状態の構造を捉えました。

 

dcytb2.jpg

図2. X線結晶構造解析 高純度に精製したDcytb試料を脂質キュービック相 (LCP)法で結晶化し、X線回折データを収集した.

Dcytbの立体構造の特徴

Dcytbは2量体を形成し、単量体あたり6つの膜貫通ヘリックスと補欠因子として2つのヘムを有する構造でした(図3)。Dcytbと同じファミリーのタンパク質として植物のアスコルビン酸 (Asc) のリサイクルを行うCytochrome b561の構造がすでに報告されていたことから、当初の予想通り両者のタンパク質フォールドは一致していました。ただし、構造解析で最も注目していたのは、これまで全く不明だったFe (III)の結合部位です。Fe (III)のアナログとして加えていたZn(II)は、Dcytb分子の管腔側の表面ポケットのHis残基が配位子となっていました。アミノ酸残基による配位はこのHisのみというのは驚きでした。共同研究者の澤井・武田ら(兵庫県立大学)が行ったFe (III)とZn (II)の競合実験や変異体解析などの生化学的な実験の結果も、このHis残基が鉄イオンの還元反応部位だということを支持しています。さらに興味深い発見として、このZn (II)は、酸化型Ascの水酸基がZn(II)に配位した状態で複合体を形成していました。この結果は、Ascが細胞質での電子供与体として利用されるだけでなく、管腔側でも酸化型Ascが鉄と錯体を形成してDcytbへの結合や電子伝達の媒介として利用されていることを示唆しています。.

dcytb3.jpg

図3. ヒトDcytbの結晶構造 (a) 2量体の全体構造をリボンモデルで表している。補欠因子としてヘムがモノマーあたり2つ結合している。 (b) 鉄イオン還元サイトの構造. Dcytb結晶にはFeの代わりにZnとAscを入れて解析を行った。ZnにはDcytbのHis残基とAscが配位している。(c) 細胞内側にもAscが結合しており、ここでAscからDcytbへと電子が渡る。

Dcytbは膜を縦断する電子移動を可能にしている

以上の結果から、生体膜を電子が縦断する流れを次のように説明できるようになりました。まず、細胞質の電子供与体であるAscがDcytbの表面に結合してDcytb内部に結合した補欠因子であるヘムに電子を渡します。電子はヘムからDcytbの分子内を伝達してもう一つのヘムを経由してから鉄イオンの結合部位へと到達するという経路です(図4)。ただし、鉄イオンの結合と解離や電子移動がどのような仕組みで制御されているのかについては詳細には解明できていないため、さらに研究を進める必要があります。

dcytb4.jpg

図4. Ascから鉄イオンへの電子移動経路 立体構造に基づいた計算から3つの経路を予測した

やはり鉄分吸収とビタミンCには深いつながりがあった

Dcytbに電子を渡しているアスコルビン酸 (Asc) という化合物は、私たちの生活に必須なビタミンCのことです。この化合物は電子をやりとりできる化合物ですので、活性酸素の働きを抑えて細胞の酸化を防ぐ役割があるという話は聞いたことがあるでしょう。今回の私たちの解析は、鉄を体内へ吸収するためにDcytbというタンパク質がビタミンCと協働している姿を明らかしました。この成果は、栄養学的には野菜や果物を食べると小腸で鉄イオンの吸収が良くなると古くから言われてきたことを分子構造の視点から実証したことになります。

構造解析はまだまだ難しい

生体膜の中で機能している「膜タンパク質」の構造解析をするのが困難な理由は、ヒトの細胞以外で大量に発現させることや、生体膜から界面活性剤を使って安定な状態で抽出精製することが難しいためです。近年は構造解析の手法としてクライオ電子顕微鏡が革新的な進歩をとげていることから、必要な試料の量は少なくなってきました。しかしながら、Dcytbのような分子量が70 kDaに満たない小さいタンパク質の分子構造を解析するには現在もX線構造解析が最も有効な手段です。ただし、X線構造解析のためには結晶を作らないといけないので、その条件探索は簡単ではありません。2010年から始めたこのヒトのDcytbのプロジェクトは筆者らにとっては初めてのヒトの膜タンパク質への挑戦でした。技術的なハードルを乗り越えて立体構造を決定し、細胞レベルでの実験などで仮説を検証してようやく2018年に国際誌に論文発表できました。最後に、本解析では理研の山本雅貴グループのBLサイエンティスト(平田・山下・河野・松浦ら)が構築・運用している世界初の「マイクロフォーカスビームライン」であるSPring-8 BL32XUのデータ収集+処理システム [4-5] が多大な貢献をしたことをを申し添えます。

 

 

参考文献 

[1] Ganasen, M. et al. "Structural basis for promotion of duodenal iron absorption by enteric ferric reductase with ascorbate". Commun. Biol. , 1, 120 (2018) [doi]

[2] Hirata, K. et al. "Achievement of protein micro-crystallography at SPring-8 beamline BL32XU". J. Phys.: Conf. Ser. 425, 012002 (2013) [doi]

[3] Yamashita, K. et al. “KAMO: towards automated data processing for microcrystals,” Acta Cryst. D74, 441-449 (2018) [doi]

[4] Hirata, K. et al. “ZOO: an automatic data-collection system for high-throughput structure analysis in protein microcrystallography,” Acta Cryst (2019). D75, 1-13 (2019)[doi]

[5] 「ZOOシステム」が タンパク質X線結晶構造解析を変える RIKEN NEWS 2019年4月号

 

 

本研究はJSPSから下記の研究助成事業の支援を得て実施されました。

2012-2015年度 科研費 若手研究(A)「ヒトの鉄イオン輸送システムの作動原理と生体内鉄動態の解明」(代表者 杉本 宏)

2018-2020年度 科研費 基盤研究(B)「生体金属イオンの輸送システムで機能する膜タンパク質の構造解析」(代表者 杉本 宏)